『幸せ』とは何か?一度立ち止まって考えてみた。

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こんにちは。

現在大学院を休学し、オーストラリアのゴールドコーストでワーキングホリデーをしているchanmioです。

 

私は思索することが大好きで、

ことあるごとに『なんで?』『なんなんだ?』とよく考えています。

(ときにはフットワークがかなり重くなり短所でもありますが笑)

 

みなさんは『幸せ』について考えたことはありますか?

 

 

『幸せ』とは、

 

・結婚すること

・お金が沢山あること

・人に囲まれていること

・高級車を持っていること

・人から羨ましがられること

・見た目が整っていること

・沢山の人に囲まれていること

・一流の会社に入ること

 

・・・・

 

などと思いつくでしょうか。

 

どれも間違ってはいないとは思います。

 

こう思うと、

 

上記の『幸せ』の形に自分が当てはまらない自分は不幸せなのか・・・

 

と思うでしょうか。

 

過去の哲学者や思想家、宗教家などにによって、幸福とは何か

が提唱されていますが、 今回は、

 

私なりの『幸せ』を考察してみたので、シェアしていこうと思います。

 

 

 『幸せ』の意味

幸福(こうふく、: εὐδαιμονία: felicitas: happiness)とは、心が満ち足りていること[1][2]幸せ(しあわせ)とも。人間は古来より幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた。

(引用:wikipedia

 

『幸せ』の意味を調べると、

 

心が満ち足りていること

 

とあります。

 

それでは、心が満ち足りていることとはどういうことなのか?

 

さらに深掘りします。

 

とは、

「心」の多義性

広辞苑は以下のようなものを挙げている。

(引用:wikipedia

 

 満ち足りるとは、

十分に満足する(引用:weblio) 

 

つまり、感情・気持ちが十分に満足している状態ということがわかりました。

 

 手段があって『幸せ』という状態を作り出す

 

冒頭で、幸せとは、

 

・結婚すること

・お金が沢山あること

・人に囲まれていること

・高級車を持っていること

・人から羨ましがられること

・見た目が整っていること

・沢山の人に囲まれていること

・一流の会社に入ること

 

が思いつくのではないか、と述べました。

 

しかし、『幸せ』の意味は、

 

感情・気持ちが十分に満足している状態

 

つまり、冒頭で述べた『幸せ』の行為は、

『幸せ』という状態を作り出すための手段にすぎないのです。

 

『幸せ』になるための手段は人それぞれ

現代は、インターネットが普及し、誰でも容易に情報を手に入れ、

さらに情報を発信できる世の中になりました。

 

その中、よく目にするのが

 

『〇〇になれば幸せになれる』

『××だと不幸せだ』

 

なんていう情報。

 

結婚すれば幸せになれる

お金があれば幸せになれる

人に囲まれていれば幸せになれる

高級車を持てば幸せになれる

人から羨ましがられれば幸せになれる

見た目が整っていれば幸せになれる

沢山の人に囲まれれば幸せになれる

一流の会社に入れば幸せになれる

 

果たして、これらを満たすことで幸せになれるのでしょうか。

 

これは、正解でもあり、不正解でもあります。

 

なぜなら、人それぞれ『幸せ』と感じる瞬間、つまり、

感情・気持ちが十分に満足している瞬間は異なる

 

からです。

 

例えば、Aさんは車が大好き。世界中のにある車種を全て把握しており、

Aさん自身が乗る車もスペック・見た目等全てにこだわります。

そんなAさんは自身が惚れ込んだ車、いわゆる高級車に乗ると、

Aさんの気持ちが最上級に満足します

 

それに対して、Bさんは車にそれほど興味はありません。

どちらかというとインドア派で、車は移動手段のために保有しています。

そんなBさんはAさんと友人で、Aさんの車、高級車に試乗させてもらうことがありました。

しかし、Bさんの気持ちは平常通り。

 

このように、同じ動作をしていても、AさんとBさんで感じる感情は全く異なります。

 

これについていえば、Aさんは車についてよく知っているから高級車の良さもわかる、だから高級車に乗ればAさんの気持ちが満足する(=幸せ)なのに対して、Bさんは車について知らないから感情も高ぶらない。もし、Bさんが車についてもっと勉強し、高級車の良さを知れば、Aさんと同様な感情を抱く可能性はあります。

 

さらにもう一つ例をあげると、

 

ロックミュージックが好きな女の子Cさんと

アイドルミュージックが好きな女の子Dさんがいたとします。

 

Cさんはロックミュージックを聴いていると、

全身からエネルギーが湧き上がってくるような感覚になり、

気持ちも満たされます。

一方、Dさんは何も感じません。

 

逆にDさんはアイドルミュージックを聴いていると

全身からエネルギーが湧き上がってくるような感覚になり、

気持ちも満たされます。

一方、Cさんは何も感じません。

 

このように、同じ音楽を聞いたとしても、それぞれ気持ちが満足する(=幸せ)条件は異なるということです。

 

つまり、『幸せ』と感じる手段はどれも自分に当てはまるとは限らないということです。

 

これが

 

・結婚すること

・お金が沢山あること

・人に囲まれていること

・高級車を持っていること

・人から羨ましがられること

・見た目が整っていること

・沢山の人に囲まれていること

・一流の会社に入ること

 

正解でもあり、不正解でもある、という理由です。

 

『幸せ』になるための方法

 

それでは、どうやって『幸せ』になるのか。

 

『幸せ』とは、感情・気持ちが十分に満足している状態

『幸せ』(=感情・気持ちが十分に満足している状態)と感じる手段は人それぞれ

 

誰かが幸せを感じている行為をしたところで自分が幸せになれるとは限らない。

 

つまり、幸せになるということは、

 

・自分がどういう状態に感情・気持ちが十分に満足するのかを知ること

・さらにその状態に自分から持っていく(手段)

 

だと私は思います。

 

その結果として、

 

・結婚することが幸せ(大好きな人と共に生活することで心が満たされる

・お金があることが幸せ

(大好きなこと(心が満たされる行為)をお金の制限なしにすることができる

・人に囲まれていることが幸せ(人と関わることが大好きで囲まれていると心が満たされる

 

等、と『幸せ』である状態が作られます。

 

ここでキーワードとして挙げられるのが、

 

『大好き』

 

という言葉。

 

私は、この『大好き』という感情こそが感情・気持ちが十分に満足している状態における感情だと考えています。

 

そして、『幸せ』になるとは、

 

自分が『大好き』と感じる状態がどんな時か知っており、

その状態を自ら作り出すこと。

 

では、心から『大好き』が生まれる瞬間を私たちはどのくらい知っているでしょうか。

 

心から暖かい温もりのようなものがにじみ出る感覚

 

『大好き』が生まれる瞬間を知ることって、

簡単そうにみえて、かなり難しいと思います。

なぜなら、現代はモノ・娯楽で溢れかえっており、

 

特別コレ!コレに『大好き』って感情が生まれた!

 

という瞬間を感じることって、母数から考えて確率的に少ないのではないでしょうか。

 

つまり、現代社会で『大好き』を知るためには、

どの行為が自分に『大好き』という感情を芽生えさせるのか

あらゆる行為を自分で試さなければなりません。

 

ただ、もう一つの仮説としては、

モノ・娯楽で溢れかえっていることにより、

『大好き』と思うモノに触れやすくなった

とも言えるのかもしれません。

 

 近年の日本の心の課題

「日本は同調社会だ」

 

これは日本と海外を比較したときに頻繁に目にする言葉です。

 

・周りに合わせて生きる

・周りと同じでなければ変な目で見られる

・人と違うことはNOとされる

・上が言ったことは絶対だ

 

さらに、近年は学歴社会、と言われ、

・いい会社(一流の会社)に行くことが幸せ

・そのためにいい大学(高偏差値)に行くことが幸せ

・そのためにいい高校(高偏差値)に行くことが幸せ

 

そして同調社会により、何も異議も唱えずその通りに進むことがほとんど。

 

果たして、その通りに進むことが本当に幸せなのでしょうか。

 

もう一度『幸せ』について振り返ると、

 

『幸せ』と感じる手段はどれも自分に当てはまるとは限らない

 

つまり、

 

・いい会社(一流の会社)に行くことが幸せ

・そのためにいい大学(高偏差値)に行くことが幸せ

・そのためにいい高校(高偏差値)に行くことが幸せ

 

自分に当てはまるとは限らないのです。

 

しかし、それに対して、

 

『幸せ』になるとは、自分が『大好き』と感じる状態がどんな時か知っており、その状態を自ら作り出すこと。

 

と上記しました。

 

いい高校・いい大学・いい会社に入ること(手段)が自分にとって『大好き』という感情が生まれるのか事前に分かるでしょうか、いや分からない。

 

この高校・大学・会社に入るか否か論争については

話が外れてしまうので割愛するが、

知識があり優秀な方が良いに越したことはないのは確かです。

 

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こちらは

「本を読むことで視野が広がり、世界が違って見える」

というものを表した風刺画。

こちらを見ると、本を読んで知識を蓄えないと…という気にさせてくれますね。

 

netgeek.biz

 

 

話を戻すと、

 

『幸せ』とは自分が『大好き』と感じる状態がどんな時か知っており、

その状態を自ら作り出すこと。

 

学校・会社はいわば自分が『幸せ』である状態を作るための場所・手段にすぎないのです。

 

つまり、良い会社に行くことが幸せなのではなくて、

良い会社に入るのであれば、

良い会社に入った後に『大好き』と感じる状態がどんな時か知っており、

その状態を自ら作り出すことができることこそが幸せになるということではないのでしょうか。

 

『大好き』に気づくためには

 ここで、『大好き』とは何でしょう?

非常に好きである様 (引用:広辞苑

 

では、『好き』とは?

心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。「好きな人」「好きな道に進む」

片寄ってそのことを好むさま。物好き。また、特に、好色。色好み。「幹事を買って出るなんて、君も好きだねえ」「好き者」

自分の思うままに振る舞うこと。また、そのさま。「好きなだけ遊ぶ」「どうとも好きにしなさい」

(引用:広辞苑

 

つまり、

 

・非常に心が惹かれること

・非常に自分の思うままに振舞うこと

 

この気持ちの状態を私なりの言葉で解釈すると、

 

『ハッ』

 

何か感動するものを見たとき、

その瞬間、心が『ハッ』とすることはないだろうか。

 

・綺麗な夜景を見たとき

・好きな食べ物を見つけた時

・お気に入りの音楽を見つけた時

 

 

私は、自分自身の『大好き』なものを気づくためには、

自分の心が『ハッ』とする瞬間にフォーカスして

いればいいのではないかと考えています。

 

『ハッ』とする瞬間以外にも

恋愛のようにいつの間にか・・・

と知らない間に好きになっていた、というのもあるとは思います。

 

『大好き』に気づくための一つの方法として、

自分の心が『ハッ』とする瞬間にフォーカスすること

が挙げられます。

 

多様な『幸せ』の形があるのは当たり前

一人一人、好きなもの・嫌いなものが異なるのは当たり前です。

人間誰一人として同じ人間なんていないのです。

 

大好きなものが人間みんな一緒だったら

それはそれでつまらない。

 

一人一人『好き』なものは異なる。

つまり、『大好き』なものが異なります

 

すると、上記で、

 

『幸せ』になるとは、自分が『大好き』と感じる状態がどんな時か知っており、その状態を自ら作り出すこと

 

と私は定義しました。

 

ということは、

『幸せ』になるとは、一人一人の人間がそれぞれ異なる『大好き』と感じる状態がどんな時か知っており、その状態を自ら作り出すこと

 

となります。

 

つまり、

 

自分の大好きが相手の大好きなものであるとは限らないように、

 

自分の幸せが相手の幸せであるとは限らないのです。

 

 自分の普通が他人の普通とは限らない

 

自分の幸せが相手の幸せであるとは限らない

 

ということから、

 

・自分の当たり前が相手の当たり前であるとは限らない

・自分の普通が相手の普通とは限らない

・これまでの常識が今後の常識とは限らない

 

こういうことを一度立ち止まって考える機会はあまり多くないのではないかと思います。

 

なぜなら日本は同調社会であり、

 

周りがしていることはいいことだ

 

と無意識に納得してしまうことが良くあるからです。

 

しかし、それで本当にいいのでしょうか?

 

自分の幸せが相手の幸せであるとは限らないと同じように、

自分の普通が相手の幸せであるとは限らないのです。

 

より多くの人が『幸せ』になるために

 

人生は、楽しいだけではありません。

 

悲しいこと、苦しいこと、悔しいこと、

もちろん、嬉しいこと、楽しいこと、

 

全てひっくるめて自分の人生です。

 

その中で、『幸せ』な人と、『不幸せ』な人では何が違うのでしょうか。

 

いや、『幸せ』を感じている人と

『不幸せ』を感じている人の違いはなんなのでしょうか。

 

その一つとして、

 

自分が『大好き』と感じる状態がどんな時か知っており、その状態を自ら作り出す力があるかどうか

 

が挙げられます。

 

『大好き』な状態はシンプルな回答だけではないのかもしれません。

 

人と話すことが好き、にしても、

ただ人と話すだけではなく、

 

共通の趣味を持つ人と話すことが大好き

 

なのかもしれないし、

 

ゆったりとしたカフェの中で人と話す時間が大好き

 

なのかもしれないし、

 

大好きな人と話すことが大好き

 

なのかもしれない。

 

例えば、

 

共通の趣味を持つ人と話すことが大好きなのであれば、

まずは自分の趣味を知っていることが必要です。

読書が好き…ゲームが好き…イラストを描くことが好き…

服が好き…音楽が好き…

なんでもいい。

 

そして、共通の趣味を持つ人がいるコミュニティに入り、おしゃべりをする。

 

これが、自分が『大好き』と感じる状態がどんな時か知っており、その状態を自ら作り出すということです。

 

 

長々と書いてしまいましたが、より多くの人が幸せを感じるためには、

自分の『大好き』を知り、それぞれ異なる『大好き』をお互いに認め、

自分自身で『大好き』なことをしている状態を自分自身で作り出す力をつけることが必要なのだと思います。

 

力をつける、なんて書くと

なんだか力まないとできないような気もしてしまいますが、

むしろ逆なのではないでしょうか

 

力を抜いている状態であたたかい気持ちで『大好き』なものを

自然とできるような自分を作り出す。そんな自分を知る。

 

一人一人がこういうことを自発的に、人から強要もされず

自然とできるようになれれば、一人一人が幸せを感じる時間が長くなるのではないのかと思います。

 

最後に

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

これは『幸せ』とは何か?という問いに対してのある一観点からの見解にすぎません。

 

物事は、多面的に見ることができます。

 

ある人にとっての正解は、

あなたにとっての不正解かもしれません。

 

今回の私の記事を読んで何か感じたこと、ご意見があれば

コメント等頂けると嬉しいです。

 

人間は生まれてから死ぬ運命で、

不幸せでいい人間なんて一人もいません。

 

どうせ死ぬのであれば

生きている人間全てが幸せであればいいのに。

 

しかし、一人一人違う人間であるように、

物事をスムーズに動かすなんて難しいのがこの世の中。

 

だからこそ、自分と向き合い、

自分の『大好き』を知り、その状況下に自分自身で身をおく力をつけることが

現代の日本人に必要なものではないのでしょうか。

 

言葉で言うことは簡単です。

 

簡単ですが、人生の中で一度立ち止まって考えて見ても

いいのではないのでしょうか。